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カテゴリ:さりせるふ( 17 )

さり干し

このところ、秋晴れでぽかぽかだ。
ベランダに出て、ぼんやりと近所の半野良ねこたちの育ち具合をチェックしている。
(あの末吉以降、別の家族が増えている。別途ご報告しますね)

物干竿に両腕を預けて、ダラ〜〜〜ンとしていると、まるで自分を干している気がする。
頭のてっぺんがちょっとあったかくなってくる。じんわりお陽さまが照らしてくれている。
「あああ〜〜〜、わたし、干されてる〜〜」
ふんわりホカホカになる布団の気持ちが分かる感じ。

しあわせは、ホカホカのわたし。
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by sally_brown | 2005-10-25 10:48 | さりせるふ | Comments(0)

花咲か爺が来たらしい

去年の夏に、ふた鉢購入したワイヤープランツ。
室内に飾ってご満悦だったんだけど、一週間と経たないうちに葉っぱが黄ばんでポロポロ落ちはじめた。細い枝の先に、ちょこっと葉っぱが残るだけの、ハゲワイヤーになってしまった。
あわてて、ネットでちょろっと調べたら『高温多湿で育ててください』とのこと。
えええ? エアコン直撃するところに置いてたから?
あわてて、ベランダに出して約半年。
寒い冬を越して、春頃からようやくハゲ枝からチロチロと葉っぱが出てきた。
枝振りも、ちょっと大きくなってきた。
毎朝水をあげ、霧吹きでシュッシュッてしてきた。
そしたら、ほら!
a0019386_13262183.jpgこれ、花でしょうか?
ふた鉢共に、ポチポチと咲いています。
ワイヤープランツに花が咲くとは知らなかった。
どうやら、我が家のベランダに花咲か爺様がおいでくださったらしい。

しあわせは、見守って育てた甲斐。



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by sally_brown | 2005-06-26 13:26 | さりせるふ | Comments(0)

キャンドルに物思い

a0019386_913577.jpga0019386_9142798.jpg
PRIVATE CAFEさん
のところで知った「100万人のキャンドルナイト 2005夏至」にちょびっと参加してみました。

エネルギー問題を考える啓蒙活動。全国各地でライトダウンするそうです。
わたしは、ちんまりと自宅ベランダでキャンドルの灯りで、しばし物思いにふけりました。
あのちいさな灯りって不思議。
なんだかじっーと考え事しちゃう。で、それを後で全部忘れちゃう。
ほっとした時間と、すっきりした気持ちが残りました。

でもさ、こうしてライトダウンできるなら、もう観光目的の建築物ライトアップとか、派手な電飾看板とかなくしたらどうかな?
遠くに見える街の灯りを眺めながら、そんなことも考えました。

しあわせは、ちいさな灯りが灯る窓。
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by sally_brown | 2005-06-20 09:12 | さりせるふ | Comments(0)
わたしには、ずっとたいせつにしているある紙がある。
現在、活動を封印ししている第三舞台 の「朝日のような夕日をつれて '97」の際、座席に配付されていた作・演出の鴻上尚史氏の「ごあいさつ」である。

この「朝日のような夕日をつれて」は、1981年に第三舞台の旗揚げとして公演されてから、第三舞台の代表作ともいえる作品。
第三舞台の公演は、どれもイチベルが鳴るまでの間、客席にはRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」が流され、客席にはその他の舞台リーフレットとともに、鴻上尚史氏の「ごあいさつ」が置かれていた。
ごく普通のノートに直筆で書かれた「ごあいさつ」のコピー。
それは彼の風貌そのままのまるっこい文字で、なんとも愛嬌がある。

わたしの手もとにある「朝日のような夕日をつれて '97」の「ごあいさつ」は、こころに響くものがある。あれ以来、辛い時悲しい時、なんども繰り返し読んでは、書かれた言葉を噛み締める。
ここに全文を引用することはできないが、一部をご紹介したい。

たとえばあなたがいくつであろうとも、ある時、自分は大切な何かをなくしてしまったと思う時があるでしょう。
……中略……
いったい、大切な何をなくしたのか。
たとえば、それは、空が青いというただそれだけで涙を流した感覚だったり、
……中略……
僕達は、大切な何かをなくしたという感覚にはとても敏感です。が、大切な何かを得たはずだという感覚には、ひどく、鈍感です。
……中略……
けれど、あなたは、子供の頃、空が青いというだけで涙を流したという記憶を手に入れたのです。
……中略……
かつて、青空を見て涙を流したという記憶は、僕達を豊かにします。
……中略……
生きているということは、何かをなくしたぶんだけ、確実に何かを手に入れるということなのです。
だた、僕達は、そのことにひどく鈍感なだけです。
……中略、以下作品について、役者についての感想が続きます……
僕は、この作品を書いて演劇を始めた時から、何をなくして、何を手に入れたかを考えています。
あなたは、何をなくしましたか。
そして、何を手に入れましたか。

今日はどうもありがとう。ごゆっくりごらん下さい。
                んじゃ、鴻上尚史


全文を引用できないのが、もどかしい。
伝わるでしょうか? このこころのど真ん中にまっすぐじんわりと突き刺さる言葉。
淡々と彼は「なくしてしまったもの、そして手に入れたもの」を説く。
この「ごあいさつ」の紙は、わたしの宝物なのだ。

しあわせは、なくしてしまったもの、そして手に入れたもの。
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by sally_brown | 2005-06-04 14:03 | さりせるふ
メールとかネットとか、インフラが整って、もっと人間が楽になってもよさそうなのに、なんでかよけいに忙しいみたい。急げ急げって、時間に追われている気がしてならないね。
なんだか、本末転倒。メールだってネットだって、パソコンだって、ただの機械。使ってなんぼ、使われちゃダメだね。
昔はファクスだって緊急時に使うのみ、紙原稿を電車で持参してたし、郵送したりしてたよ。
バイク便なんてなかったもん。新米さんがお届け係、それで社会勉強して顔を覚えてもらってたのかな。もちろん、ネットもメールも携帯電話もなかった。それでも、ちゃんと仕事になってた。

こないだ、借りていた児童書を返して、また児童書を借りてきた。

図書館の本棚から、この本がわたしを呼んでた。「あなたは、いまこそ、わたしを読みなさい」
そんな気がするほど、運命的な出会いの本だった。


ぜひ、読んでみてほしい。
読み終わった後、きっとあなたは「左の手のひら」を見つめて、ちょっと考えるでしょう。
そして、思うはず。
「わたしもそうかもしれない」って……。
わたしは、きっとものすごくこの「島」に貢献している。

「むだに過ごしたときの島」
シルヴァーナ・ガンドルフィ 泉典子/訳 世界文化社

しあわせは、むだに過ごしたとき。


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by sally_brown | 2005-05-16 10:36 | さりせるふ | Comments(0)

児童書って楽しい

a0019386_125211100.jpg子供の頃から、本が大好きだった。四つ上の姉のために買ってあった本も、ほとんど先にわたしが読破したように思う。お友達の家の本も、わたしの方が読破した。
両親とも働いていたので、家でおとなしくじっと本を読んで誰かの帰宅を待つわたしに、父も母もせっせと本を買ってくれた。

この間、久しぶりに図書館へ行った。今はいろんなことをネットで調べられるけど、以前はよく調べものをしに図書館へ行ったものだ。目的以外の本に夢中になってしまうこともしばしば。
久しぶりの図書館は、わたしの大好きな「本の匂い」がする。
特に目的もなかったのでぶらぶら書棚を見て歩いていて、心に留まったのが、児童書だった。
児童書って、大人になってから読んでも面白い。児童書大好き。あれこれ欲張って手に取ったけど、重いし読み切れないかもと思って3冊に絞って借りた。
どれも、面白かった。子供の頃のように夢中で読んじゃった。返しにいったら、また児童書借りようかな。

活字離れっていわれているけど、本は楽しいよ。読んでほしいな、想像力の泉。
でもね、ひとつ忠告。本は「読む時期」があると思う。子供には難しいテーマの本を、あまりに早くから読ませるのは止めた方がいいかも。
わたしは「罪と罰」とか「赤と黒」とか「復活」とか「マノン・レスコー」とか、子供向けの翻訳で小学4年生くらいで読んじゃった。まるっきり意味が分からなかった。活字を追っただけ。
未だに「もう読んだしなぁ〜」という気持ちがあって、もう一度手に取る気にならずにいる。

ネットのニュースで、大好きな「ナルニア国物語」が映画になるとあった。
うれしいような、かなしいような、複雑な気持ちだ。
なぜなら「ネバーエンディングストーリー」の映画版、まるで原作からかけ離れちゃってて悲しかったから。あの映画じゃ、『ネバーエンディング』な訳がわからないじゃない。
「ナルニア国物語」、原作の面白さを活かした映画化になるといいな。

しあわせは、いつ読んでも楽しい児童書。
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by sally_brown | 2005-05-08 12:54 | さりせるふ | Comments(0)
踏切が恐い、わたしは電車の踏切を渡るのが、すんごく恐い。
「フライド・グリーン・トマト」という映画をご覧になった方なら、お分かりかと思うが、ああなるのが恐い。この映画を見る前からだが、あのシーンを観てしまったので余計に恐い。

都心なら、ほとんど地下鉄だし、踏切を渡ることもない。
が、このところ、ほぼ毎週ある踏切を渡っている。
恐いよ〜と思いつつ、遮断機の一番前で上がるのを待つ。そして、遮断機が上がると同時に、レールと直角に渡る。決して、斜めには渡らない。
その間、ずっと自分の足下を見て、レールをしっかりと避けて歩く。絶対レールを踏まない。だって、うっかり「ツルッ」とかなっちゃったら、困るじゃない。
出来るだけ早く渡りたいが、恐くて走れない。一歩ずつ慎重に歩きつつ、渡りきる前に「カンカンカン……」とか鳴らないだろうかと、ドキドキする。
ようやく渡りきると、なんだか無事生還した気分になる。そして、気づくと両手をギュ〜ッと握りしめている。

たまに、ヨチヨチ歩きの子供の手を引いて、斜め渡りをする無謀な母を見たりすると「お願いだから、わたしのために抱いて渡ってくれぇ」と、心のなかで叫んでしまう。

実は、昨日もその踏切を渡って来た。
デジカメ持ってたんだけど、とってもじゃなくて写真撮る心の余裕はなかった……。
それほど、踏切が恐いんです。

しあわせは、無事故無違反、交通安全っていうこと。
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by sally_brown | 2004-11-12 12:29 | さりせるふ | Comments(0)