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ちいさい秋見つけた

a0019386_10162713.jpga0019386_10165285.jpg秋空高く晴れた日に、散歩に出掛けた。
公園の木々は、常緑のモノに混ざって、少しずつ色付いている。
その木々の隙間から、真っ赤な木を発見した。

東京のど真ん中で、見事に紅葉している。
枝から葉っぱを摘むのも可哀想なくらいだったので、落ちた葉を撮影した。心なしか、すこし色あせて見える。
新緑の季節に、痛々しいほどの薄緑に萌え、やがて輝くような濃い緑の葉を茂らせる。
そして、秋に紅く染まって、そしてはらはらと落ちていく。
一年を大切に生きてきた葉っぱ……見習おう。
自然には、教えられることが多い。
紅く染まった落ち葉は、撮影した次の瞬間、秋風がどこかへさらっていった。

しあわせは、葉っぱとさえも一期一会であること。
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# by sally_brown | 2004-12-01 10:14 | はるなつあきふゆ | Comments(0)
踏切が恐い、わたしは電車の踏切を渡るのが、すんごく恐い。
「フライド・グリーン・トマト」という映画をご覧になった方なら、お分かりかと思うが、ああなるのが恐い。この映画を見る前からだが、あのシーンを観てしまったので余計に恐い。

都心なら、ほとんど地下鉄だし、踏切を渡ることもない。
が、このところ、ほぼ毎週ある踏切を渡っている。
恐いよ〜と思いつつ、遮断機の一番前で上がるのを待つ。そして、遮断機が上がると同時に、レールと直角に渡る。決して、斜めには渡らない。
その間、ずっと自分の足下を見て、レールをしっかりと避けて歩く。絶対レールを踏まない。だって、うっかり「ツルッ」とかなっちゃったら、困るじゃない。
出来るだけ早く渡りたいが、恐くて走れない。一歩ずつ慎重に歩きつつ、渡りきる前に「カンカンカン……」とか鳴らないだろうかと、ドキドキする。
ようやく渡りきると、なんだか無事生還した気分になる。そして、気づくと両手をギュ〜ッと握りしめている。

たまに、ヨチヨチ歩きの子供の手を引いて、斜め渡りをする無謀な母を見たりすると「お願いだから、わたしのために抱いて渡ってくれぇ」と、心のなかで叫んでしまう。

実は、昨日もその踏切を渡って来た。
デジカメ持ってたんだけど、とってもじゃなくて写真撮る心の余裕はなかった……。
それほど、踏切が恐いんです。

しあわせは、無事故無違反、交通安全っていうこと。
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# by sally_brown | 2004-11-12 12:29 | さりせるふ | Comments(0)

太陽見た?

今日は、2年4ヶ月ぶりの部分日蝕だ。でも、東京は曇り空。悔しいなぁと思っていたら、一瞬だけ陽の光が! あわてて、ベランダに出て空を見上げた。迂闊にも太陽を直視! 「太陽は直接見てはいけませんよ」と小学校で教わっただろう……学習能力ゼロ。
ホントはネガフィルムとかで見るといいらしいが、そんなのないので、昔の仕事で撮影したポジフィルムのなかから、濃い目の色合いのものを探して、太陽を見る。
にこやかにポーズをとる外人男性モデルの満面の笑顔の横に、太陽。
おおおぉ、確かに左上がちょびっと欠けている。宇宙を感じて、なんとなく感動。

思い出してみれば、家には本格的な天体望遠鏡がある。わたしが小学生の時に、それで月の凸凹などを見て「すご〜〜〜い!」とはしゃいだことがある。父は「ほ〜れ、これが月の顔じゃぁ〜」と自慢げだった。
本格的な顕微鏡もあった。よく庭の葉っぱや花びらをスライスして、覗いてはおもしろがっていた。庭の馬酔木の白い花の中に虫がいて、泣いたこともある。
わたしや姉がねだった記憶はないので、きっと機械好きの父が欲しかったんだろうな。
面白かったけど、完全に文系のわたしは、それ以上科学的なことに踏み込まずに育ってしまった。父……ごめんなさい。

ついでに思い出したが、少年少女文学全集全24巻とか、豪華箱入り文学全集全36巻とかもあった。平凡社全36〜8巻百科事典(専用本棚付き)もあった。本好きのわたしは、こっちはむさぼるように読んだ。百科事典って、意外と面白い。辞書も好き。
でも、約8年ほど前、自宅を取り壊して建て直した折、余りに場所をとるので、わたしが卒業した小学校に寄贈した。寄贈依頼の電話をかけたら、学校側は大喜びで受け取ってくれたそうだ。後輩たちよ、読書に励んでくれ。本は心を豊かにしてくれる。

こう思い出してみると、教育熱心な両親だったんだな……。
期待に応えられず、いつまでも不良娘でごめんなさい。
でも、娘は「誠実」をモットーに生きています。

しあわせは、宇宙のなかで人間の小ささを感じて謙虚になれること。
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# by sally_brown | 2004-10-14 12:19 | はるなつあきふゆ | Comments(0)

自然の一部

台風22号が関東に接近中。朝方は「本当に台風が来るのか?」と思うような,無風&小雨だったが、そろそろ雨足が強くなって来た。来るぞ〜っと、ちょっと楽しみ。
小さい頃から,雷や台風が好きだった。
几帳面な父は、外に出してある植木鉢やバケツなどをしまい,きっちり戸締まりをした。父が厳重に閉めた雨戸を,こっそり15センチほど開けて,顔半分ずぶぬれにしながら「わぁ!雷見えたぁ」などと大喜びしていて,ものすごく怒られたことがある。
停電した時など,ロウソクで夕御飯を食べて,なんだか特別な気分だった。

ただひとつ、台風でイヤだったのは,ピアノの練習をさせられた思い出だ。
普段は近所に迷惑をかけないようにと、練習時間が決まっていたのだが,台風の時に「これだけ外がうるさければ,ピアノを思いきり弾きなさい」と、無理矢理練習させられた。わたしは、窓から外を覗きたかったのに。

ニュースでは全国各地の現在の状況を中継している。
どんどん台風が近付いている。
さて、ベランダの植木鉢を避難させておこうか。
自然の脅威の前に,人は無力だ。

しあわせは、人も自然の一部だと思えること。
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# by sally_brown | 2004-10-09 15:17 | はるなつあきふゆ | Comments(0)

帰去来

台風一過の秋晴れ。空の青色、雲の流れも夏とは違って見えます。
でも、そうそう優雅に空を眺めてもいられません。さて、お洗濯、お洗濯……。

洗濯物を干していたら、ベランダに蜻蛉がやってきました。虫博士でもないので、なに蜻蛉かまでは分かりませんでした。
「こんちは、よい天気ですね。もう、秋ですよ」と教えに来てくれたに違いない。
蜻蛉さん、ありがとう。

しあわせは、めぐりくる季節を感じられること。
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# by sally_brown | 2004-09-30 18:39 | はるなつあきふゆ | Comments(0)

十姉妹

幼い頃、玄関でジュウシマツを飼っていた。両親にとっては、子供の情操教育にと思ったのだろう。4、5羽いたので特に名前も付けず、幼い私は小さくて地味なその小鳥が十姉妹ということもわかっていなかった。ある日、一羽が動かなくなっているのを見つけた。母に報告すると「死んじゃったんだね」と言って、布にくるみ何かの箱に入れて、一緒に庭の隅に埋めた。墓標はたてなかった。土に埋めるということを、タネや球根でしか知らなかったわたしは、母に「この小鳥はどうなっちゃうの?」と尋ねた。母は「死んでしまったので、土になるんだよ」といった。私は、埋められたその小鳥から花が咲かないことを知った。
その後、カトリックの幼稚園に(ただ自宅から近かったという理由で)入園した。園内に御御堂(おみどう)と呼んでいたちっちゃなちっちゃな教会があり、幼稚園児サイズの膝をつくクッションのついたベンチが並んでいた。正面には十字架に架かるイエス様がおられ、その隣にはマリア様の御像(みぞう)がおられた。毎週水曜日にはどこかの教会からパードレ(神父様)がおいでになって、お祈りを捧げた。難しい教義は習わなかったが、お祈りと「人の罪をあがなう」ということを知った。
5歳の時、母方の祖父が亡くなった。遠く離れて育ったので、祖父との思い出は少なかった。あわてて帰郷する両親につれられた私は、顔に布を被せて寝ている人をはじめて見た。その横で泣く祖母と母、伯母たちを見て、これは哀しいことなのだと思った。
出棺の直前、親戚一同が棺に花を捧げた。孫の中で最も幼かった私は、多くの伯父や伯母の後ろでただ立っていた。すると伯父が(どの伯父だったのだろうか)私を抱き上げて「じいちゃんの顔をよう見ておきよ。もう会えんのじゃ」と言った。私は抱き上げてもらっていることに遠慮してしまい、本当は見えていないのに「じいちゃんの顔が見えた」と嘘をついた。
私は焼き場には連れていかれなかった。祖父は小さな白い箱になって帰ってきた。母は「よう可愛ごうてもろうた。頭を撫でてくれたり、赤ちゃんの時に抱いてくれた、じいちゃんの手のお骨をありがとうと言って拾ろて来たよ」と言った。私はお骨を拾うということが理解できなかった。

今、あの時伯父に抱き上げてもらいながら嘘をついたことを、とても後悔している。

動かなくなって土に埋められる小鳥、祈るということ、顔に布を被せ「お骨」になるということ。そういうことを積み重ねて、私は命ということを知った。

きちんと話してくれるおかあさんはすてきです。

しあわせは、今生きているということ。
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# by sally_brown | 2004-06-12 19:32 | いのち | Comments(0)