もう16年くらい前、ある仕事で第2次世界大戦で散ったある一歩兵の足跡をたどったことがある。
彼が戦時下において書き残した手記を元に、その足跡をたどるのだ。
国会図書館から、当時の中国大陸の地図を借り、許可を貰ってコピーする。
中国奉天から始まるその手記は、旧字体で書かれた鉛筆の走り書きだった。
おそらく月明かりで書かれたであろうその文字は読みにくく、かすれよろめくものだったが、旧い中国地図の旧字体で書かれた地名をたどりつつ、彼の行軍を追った。
行軍は、時に休み、時に迷いしつつ、中国大陸を横断していた。
×月×日 ○○鎮(中国で「村」に相当する)に到着
×月×日 ○○へ出発
特別な感情も感想もなく、淡々と行軍の様子が綴られていた。
ある時点で、彼の軍は中国大陸から、南方戦線へと送られる。
折角行軍してきた大陸を、また引き戻り汽車にて奉天へ帰り、船にて戦火激しい南方へ向かう。
ここで、手記は終わっている。
そのほかの遺品と共に、どこかの地点から日本へ送り返されているのだ。
だからこそ、いまここにある。
仕事先ではご遺族からお借りして、手記をコピーさせていただいていた。
彼の最期がわからない。
わたしは、仕事先から依頼されて、今保存されている彼の所属部隊の名簿を調べることになった。
記憶が定かでないが、自衛隊のどこかの部署が保管していたと思う。
重い気持ちで、自衛隊当該部署へ向かい、書庫と思われる部屋で待つ。
担当者が、奥から白い手袋をして、うやうやしく名簿を持ってきた。
わら半紙よりも薄くもろく、今にも崩れそうな1冊の名簿。
わたしも、白い手袋をして、一礼してから一枚ずつ頁をめくる。
兵士ひとり一行だ。人ひとりが一行に収められているのだ。
何かの番号と、氏名、出身地、そして死因欄。
そっとそっと頁をめくる。
「××ニテ戦死」「××ニテ病死」……延々と続く彼らの死。
やがて、わたしがたどった彼の名前を見つけた。
「流失」
彼の最期は「流失」だった。彼の他にも「流失」が続々と続く。
「戦死」でもなく、「病死」でもなく、ましてや「行方不明」でもない。
わたしは、この目で、手書き手記を元に調べた彼の最期を見届けた。
これは仕事だ。泣くまいとしたが、涙がこぼれた。
もろい名簿を傷つけないよう、横を向きしばらく泣いた。
南方戦線は、どの島もジャングルのなかを補給も支援もなく、ただただ転戦に次ぐ転戦だ。
敗退とは決して言わない。方向を転じて進むのみなのだ。
南方特有のスコールは、時に鉄砲水となり、疲弊した兵士を押し流していく。
また、川を渡る体力も尽きた兵士も多かったと聞く。
彼は、南方の島で、流れ去ってしまっていた。
わたしが調べた結果は、仕事先でどのように扱われたのか、残念ながら判らなかった。
彼の足跡をたどる間、わたしは彼と共に生き、最期を見届けたとき、共に死んでしまったような、そんな気持ちになった。
なんとも言えない寂寞感、無力感。
戦いのない今の平和は、彼のような一歩兵の死の上にある。
しかし、残念ながら揺るぎない平和ではない。
誰かがなにか少し動くだけで、大きく動いてしまうような危うい平和だ。
だからこそ、注意深く、おのが心を見つめて、いつまでも平和でありたい。
しあわせは、戦のない世界。